これまでのあゆみ

組合員のみなさまと一緒にあゆんできたこれまで。年代を追って紹介いたします。

1964年
京都洛北生活協同組合の創立総会は1964年11月27日、左京区下鴨葵小学校講堂を会場に、500人を超える組合員の参加で開催されました。創立時、組合員数1,032名、準備金(出資金・1口500円)24万9600円、当初の拠出者は679人でした。
1964年当時
洛北生協発足当初は職員4名。同志社大学のキャンバスの片隅にあった古い建物、10坪足らずの旧用務員室を借り、事務所と倉庫に使っていました。
1965年
左京区松ヶ崎西桜木町に同志社高校の廃材も使用し、洛北生協の建物が完成しました。1階は事務所と倉庫、2階は食堂と職員寮でした。 この建物は1978年8月まで13年あまりの間、本部棟として使われました。
1965年当時
初期のころの総代懇談会風景
「主婦が病気になった時等、ホームヘルパーが来ていただけたら」「特定の農協と契約して安定した価格で購入を」など声が寄せられました。
1966年
衣笠支部開設
午前に組合員宅を一軒一軒注文をとってまわり、午後から注文商品を配達する「家庭係制度」は地域に広がりました。しかし、利用者増加の中で、夕食に間に合わないなどの状況もでてきました。
1968年
「目で見て買いたい、選んで買いたい」の組合員の思いから
「生協の店」1号店、現コープ下鴨が開店しました。
1970年~
1972年
京都消費者大会終了後に行った物価値上げ反対のデモ行進。
当時、あいつぐ公共料金の値上げなど物価問題が深刻化していました。
1973年当時
「牛乳市価の値上がりをきっかけに牛乳の共同購入が発足し、商品はその後調味料・日用品などに広がりました。
組合員で注文書を回覧し、班単位に配達を受け、まとめて代金を払うという共同購入班が始まりました。
1973年
「石油ショック」と呼ばれる異常な物価上昇と物不足
食用油、小麦粉、さとう、トイレットペーパーを買うために早朝から長蛇の列ができた生協店舗前(現コープ下鴨)
1975年
創立10周年記念組合員のつどいの様子
前年に名称変更して「京都生活協同組合」となりました。
1978年
第14回通常総代会(京都生協・洛南生協合同)。
宇治市南部、八幡市、城陽市、綴喜郡、相楽郡の総代が参加し開催しました。
1979年
国際児童年を契機に、ICAのよびかけに応え、「世界の子供たちにバケツ1杯の水を」の10円募金運動を行い、集まった66万円を日本生協連を通しとどけました。
1980年~
1981年
宅配システムにコンピュータを導入。一人ひとりの名前入り注文書を配布することで、班での注文集計をする必要がなくなりました。
1982年
久美浜町農協・久美浜町川上営農組合との間で協同組合間協同と「産直」についての協定・契約をむすびました。このころ産地との「産直提携」が大きく広がりました。
1983年
京都協同食品プロダクト株式会社設立
現在も店舗と宅配事業の精肉・水産の加工商品を生産しています。
1983年
増加する共同購入配達へ対応するため、城陽市に南部物流センターを開設しました。
1983年
北部地域で待望されていた配達を開始。
中丹支部を開設し、共同購入配達が始まりました。
(バックは国立福知山病院)
1985年
新しいシンボルマークを作成。
配達のトラックや、店舗の看板に掲示しました。
1986年
くらしの助け合いの会が発足。
家事援助をふくむ地域の助け合いをすすめるため、有償のボランティアとしてスタートさせました。
1989年
創立25周年で、公募作品をもとに記念歌を作製。
審査員のひとり高石ともや氏の指導による「しあわせパッチワーク」のコーラスを、創立25周年記念のつどいで発表しました。
1990年~
1990年
京都府障害者共同作業所連絡会と、協力協同を一層深める協定書を交わしました。
1990年当時
コープ商品や配達について知ってもらおうと、地域の生協組合員も参加した展示試食会が京都府内各地で開催されました。
1994年
創立30周年「記念のつどい」を清水寺と高台寺で行いました。
1995年
1995年1月17日午前5時46分に発生した兵庫県南部地震による阪神・淡路大震災が起こりました。
京都生協ではせいきょう会館に被災者支援センターを設置し、支援活動を行いました。
1995年
個別配達の実験が始まりました。当初は班として届けた商品を、個配メイトさんが個別に分け配達するという方法でした。
1996年2月
阪神・淡路大震災で建設された神戸市の仮設住宅で。
支援活動として行った節分市準備の様子。京都生協では発災時より、コープこうべの事業再開や炊き出し等で被災された方への支援を行いました。
1996年
全店舗お買い物袋持参運動(レジ袋有料化)を実施
京都生協でのレジ袋削減の取り組みは、1983年にコープ下鴨(当時は下鴨組合員センター)で最初にスタートしました。当初はスタンプ方式によるレジ袋節約運動として取り組み、96年からは全店でレジ袋有料化を実施しました。
1996年8月
阪神淡路大震災支援活動に対し、当時の厚生大臣から感謝状をいただきました。
1996年9月
全国の生協とともに「地震災害等に対する国民的保障制度を求める署名推進運動」を開始。この取り組みは全国で2400万筆を集め、1998年の「被災者生活再建支援法」成立につながりました。
1997年
ロシア船籍のタンカー「ナホトカ号」が時化のため日本海で座礁。沿岸の漁協に大きな被害を出しました。京都生協では京都府漁連(現京都府漁協)へ緊急支援物資を搬送しました。
1998年
個人別仕分けになる前の協同購入の様子。
一人が読み上げて、カルタ取りのように商品を仕分けました。
2000年~
2000年
あみの生協と組織的合同を行いました。
2000年
京都生協のホームページが開設しました。翌年2002年には共同購入・個人宅配のインターネット注文も始まりました。
2000年
「食の安全を求める署名」に取り組み、京都生協では38万筆をこえる署名が集まりました。全国で取り組んだこの署名は、「食品安全基本法」の制定や食品安全委員会の設置、「食品衛生法」の改正へとつながりました。
2004年
台風23号で被災した舞鶴市で、復興支援活動を行いました。この災害は京都府と締結している「災害時における応急対策物資供給等に関する協定書」に基づいた、初めての活動となりました。
2005年
ニューヨークで行われたNPT再検討会議へ向けて代表を派遣しました。
2007年
コープ葵湯デイサービスセンターを開設しました。
2009年
京都府内の休耕田・耕作放棄地を活用したさくらこめたまご用飼料米の田植えが始まりました。翌年2月からさくらこめたまごの供給が始まりました。
2010年
ニューヨークで行われたNPT再検討会議へ向けて代表を派遣しました。タイムズスクエアから国連までをデモ行進。
2011年
3月11日午後2時46分,東日本大震災が発生。京都生協は発災早期から復興支援活動に取り組みました。組合員から集まった募金は総額約6400万円となりました。
2011年
京都府、綾部市と見守り活動に関する協定を締結しました。その後、同様の協定が京都府内14市町に広がりました。
2012年
国際協同組合年の記念行事に、京都府各地で取り組みました。山田京都府知事と二場理事長との新春対談の中でも話題となりました。
2013年
夕食サポート配達が始まりました。
2013年
障がい者がやりがいをもって長く働き続けられる環境を整備し、障がい者雇用を広げるための基盤として「(株)ハートコープきょうと」を設立し、特例子会社として認定されました。
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