核兵器をなくすために一人ひとりができること「ヒバクシャ国際署名」へのご協力をお願いします。

高校時代の仲良し同級生3人。
久しぶりに会っておしゃべり中です。

A子「ヒバクシャ国際署名」って知ってる?これなんやけど、被爆者の方たちが核兵器をなくすことを願って、世界中に呼びかけているらしいよ。
B子聞いたことあるよ。国連でも核兵器を禁止する話し合いしてるよね?核兵器が使われたら日本も巻き込まれるかも。子どものためにも核兵器はなくなってほしい。
C子署名に「国連に届ける」って書いてあるね。わたしも核兵器はなくなってほしい。でも、署名ってどれくらい効果あるのかな?わたしらが署名してホンマに核兵器なくせるのかなあ?
A子国連には世界中からの核兵器禁止を求める署名が積み上げられてタワー(※)になってるって生協の学習会で聞いたよ。この署名も国連に届けられるし、世界中から反対の声が集まったら大きな力になるのと違うかな。
そうそう、京都に住んではる被爆者の花垣ルミさんもこの署名呼びかけてはるし、一緒にお話を聞きに行かへん?
(※)
国連総会議場入口に設置されている「核兵器廃絶を求める署名」のタワー

京都在住の被爆者・生協組合員
花垣ルミさんのお話

花垣ルミさん

1945年8月6日8時15分、アメリカの爆撃機 B29エノラ・ゲイが広島に原子爆弾を投下。私は5歳でした。地面がフワッと浮いて、熱波に襲われ、建物が爆音を立てて壊れました。あちこちで火災が発生し、二階で遊んでいた私は家具のクサビが頭に刺さり、庭で洗濯をしていた母は弟をおぶったまま木の根元に飛ばされ、祖母は寝ていたベッドごと壊れた窓際でとまっていました。

逃げる途中、犬や猫、牛、馬も、万歳の格好で死んでいました。吹き出す水道の周りには、輪になって亡くなっている人、人、人…。私たちは山に逃げたのですが、私は頭も顔も体も血だらけで、祖母はその姿を見て「ワ〜ッ」と泣き出しました。弟はオムツを替える とお尻の皮膚ごとめくれ、小さくかすかにうめきました。私たちが休んでいる10メートル先では、木切れを集めて積み、その上に真っ黒に焼けた人、身体の部分だけの人、ゴムボートのように膨らんだ人…。その上にまた木切れが乗せられ、燃やしていました。見たことのない光景と表現できない強烈な匂い。ボーッと見ていたら、母に「見ちゃだめっ」と抱きしめられ、そのまま気を失って記憶を無くしました。

それから58年が経ち、2003年、63歳の時に生協の活動で「広島の慰霊式典」に参加。その報告書を書いている最中に、突然あの時の記憶が戻り始めたのです。とても苦しく、思い出さなければよかったと思ったこともありました。でも、二度とこんな経験を誰にもさせてはいけないという思いも強くしました。
その後、2005年の「NPT再検討会議」に被爆者のお手伝いの役割で参加し、ニューヨークの高校での被爆者証言活動をした時に、B29エノラ・ゲイの関係者を祖父に持つ1人の女子高校生が来ました。証言を聞いた彼女は「原爆の投下は戦争を早く終らせるためと教えられた。生き残った人たちがこんな目にあっているとは誰も教えてくれなかった。どうしたらいいの?」と泣き叫びました。証言をした男性も泣いていました。被爆者だけではない。この女の子のような思いも、二度と誰にもさせてはいけない。私はこの時の「どうしたらいいの?」の言葉を大切に日本に持ち帰りました。

2016年4月、被爆者は、核兵器廃絶国際署名「ヒバクシャ国際署名」の取り組みをスタートしました。私たちの最後の力を振り絞って、世界のすべての国、すべての人に核兵器廃絶を訴えています。どうか、多くの方に協力頂きますよう、お願い申し上げます。

花垣さんのお話を聞いた3人は…

A子広島・長崎の被爆者は平均年齢が八十歳を超えて、「自分たちが生きている間に何としても核兵器をなくしたい」っていう思いなんやね。この署名に協力することは核兵器をなくしたいと願う世界中の人と力を合わせることやと思う。
B子核兵器は二度と使ったらあかんわ。
被爆者の方たちの署名への気持ちがよくわかった。核兵器をなくすために、友達にも署名頼んでみる。
C子そうやね。こんな思いを子どもたちにはさせたくない。わたしらの署名が国連に届けられて、核兵器禁止の後押しをするってことやね。わたしもできるだけ協力頼んでみる。