平和への想いをつないでいくために 私たちの戦争・被曝体験談平和への想いをつないでいくために 私たちの戦争・被曝体験談

忘れてはいけない、あの頃のこと大谷蔦美さん

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先日、東舞鶴駅に行った際、駅舎の展示を見て戦争のことを思い出しました。
私が3、4歳の頃、お母さん達はみんなかすりのもんぺに白い割烹着姿でした。駅からSLが灰色の煙を出してゆっくり出てきて、町内中の人が沿線で日の丸の旗をちぎれるぐらい振り続けました。兵隊さんたちは、窓から半分身を乗りだして手を振っていました。カーキ色の帽子を今でもよく思い出します。「ガンバレ」「御苦労さん」みんなが大きな声で兵隊さんに向かって声を上げ、私はお母ちゃんとはぐれないように白い割烹着の端を必死で掴んでいました。
その後、駅前の大通りで、傷医軍人さん達の姿を見かけることがありました。カーキ色の帽子をかぶり、松葉杖をつきながらアコーディオンを弾いている方、足全部に包帯をまいている方・・・今でも覚えています。
私も小さかったので、戦争の苦しさや辛さは覚えていません。戦後の苦しい時代のなか、父母は私たち7人の子どもを育ててくれました。母が畑を作りイモやトマト、カボチャなどを一生懸命育て、私たちに食べさてくれました。どんなに苦労しただろう・・・本当に感謝です。7人兄弟のうち小さい時に1人病気で亡くなりましたが、6人は今、80歳近く。元気で過ごしています。日本に生まれて良かった、戦争がなくて良かった。今は幸せです。
東舞鶴駅の近くに行ったら、一度駅舎の中をのぞいてくださいね。若い方にも見ていただきたいな・・・。