平和な日本がいつまでも浜原優子さん(父・長谷川一豊さんの手記より)
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私は戦争に行っていないので、戦地のことはわかりません。戦中子どものころ経験してきたことをありのまま書きました。一度読んでください。
私が戦争を経験したのは、昭和16年から20年8月15日の終戦までの間です。当時、私たち家族は5人で暮らしていました。
私の父は、戦争が始まる数カ月前に、風呂敷一枚に身の回りのものを包んで、誰にも見送られず、戦争の準備のために秘密で出征※1していきました。当時私は6歳でしたが、子ども心によく覚えています。それからというもの、私たち家族の生活が変わりました。母は姉・私・妹の子ども3人を、一生懸命に働いて、一人で育ててくれました。今でも忘れることができません。
昭和16年12月8日、日本は米英に対して戦争をしかけました。大東亜戦争※2のはじまりです。最初の1年くらいは日本も変わったこともなく、普通に生活をしていましたが、年月が経つにつれ、だんだん食べ物が無くなり、食糧不足が続きました。着る物や履き物までなくなり、もちろん米も野菜もなくなりました。毎日何も食べられず、空腹が続きました。
数日に一回くらいでしたが、配給がありました。さつまいも、じゃがいも、大根その他を、雨の降る中を並んで配給を受けました。当時、私は国民小学校2年から3年だったと思います。
毎日学校の農園で、生徒全員が勉強もできず、つるはし、スコップ、鍬を持って、一生懸命に畑を耕していました。さつまいも、じゃがいも、その他自分の畑で作ったもの以外は何もありませんでした。たまにですが、自分で田んぼに行ってエビ、カニ、山に行ってイタドリ、川に行ってはセリ、タニシ、ゴリ、秋にはイナゴをとって、食べられるものは何でも食べて当座をしのぎました。そして風呂には何日も入れず、体にはシラミがわきました。
そして国民みんなが痩せ衰えて、栄養失調になった人もたくさんいました。悲惨なものでした。母は食べる物がなくなると、自分の着物を風呂敷に包んで、田舎へ行ってさつまいもやじゃがいもなどと交換し、私たち子どもに食べさせてくれました。
またその頃には、京都の上空にB-29爆撃機が編隊を組んで飛んでくるようになりました。京都は何度飛んできても爆撃せず、京都の上空で南から東に進行方向を変えて飛んでいきました。後から聞きましたが、福井県、富山県が爆撃され、大きな被害を受けたそうです。京都も夜中に空襲警報のサイレンが鳴ります。灯火管制※3で電気は一切つけられず、真っ暗な中で防空頭巾をかぶり、近くの防空壕に家族で避難して、恐怖をこらえて、敵機が去っていくのを待ちました。
明けて学校の通学では自由行動はできません。団体行動で、生徒は一カ所に集合して2列に並んで通学しました。学校近くになると、門前30m手前から班長の号令で「歩調とれ、頭右」と号令に従って、門前に敬礼したものです。まるで軍隊のようです。時には組全員で軍歌を歌って、国旗を振りながら近くの神社にお参りしました。通学は防空頭巾に背嚢をたすきにかけて、足元はゲートルを巻きました。学校ではゲートルが緩み、よくずれ、先生に「巻き方が悪い」と叱られ、よく殴られました。上着は国防色で5つボタン、ズボンと揃えで配給で当たって買いました。靴はすぐ破れて、次の配給を待ちました。
そんな中、日本もますます空襲が激しくなり、友達の中には田舎の方に疎開する人もいました。家族や友達ともバラバラになって、そんな生活が終戦まで続きました。私は母から「死ぬときは一緒」と常から言われていましたので、疎開せずに母のそばで生活を続けていましたが、京都もいつ爆撃があるかわかりませんので、恐怖の毎日が続きました。おかげで京都は爆撃があまりなかったので、今現在生きています。
今省みますと、日本もバカな戦争をしかけて、日本国民を苦しめ、大きな犠牲を出し、国民の命を奪い、結果は敗戦。昭和20年8月15日12時にラジオ放送で、天皇陛下から終戦を知らされました。当時私の年齢は10歳、子ども心に嘆きました。終生忘れられません。
そして戦後、昭和21年5月18日に父が復員※4しました。5年ぶりに父に会って、感激の涙が流れました。後日、父からいろんな話を聞きましたが、タイ、ボルネオ、フィリピンなど転戦※5してきたそうです。何にしても無事帰国してくれましたので喜びました。
戦争を経験した日本国民の皆さんは、戦争は悲惨なもので、二度と起こしてはならないと思っておられると思います。私も平和な日本がいつまでも続きますようお祈りしています。
※1 兵士として戦場へ向かうこと
※2 当時の日本政府が定めた、第二次世界大戦におけるアジア・太平洋地域での戦争の呼称
※3 敵機に街の明かりを目標にされないよう、夜間の照明を消したり、電球に黒い布を被せたりして制限すること
※4 軍務を解かれ、戦地から故郷へ帰ること
※5 各地の戦場を移動しながら戦い続けること







